かいけつゾロリと捨てられた"わたし"
(今でも空で描くことができる、私を育ててくれた恩人であるゾロリ)
思えば、かいけつゾロリと歩んできた少年時代だった。
平成生まれの児童にこれでもかというほど愛され、これから令和生まれの子どもにもこれでもかというほど愛されるであろう児童文学の金字塔、かいけつゾロリ。
これは『ズッコケ三人組』『マリア探偵社』『かいぞくポケット』らと肩を並べ(私にとってはどれも好きだが、やはりゾロリは頭一つ抜けている)、子どもならば誰しもが通る道である。
私の通う小学校の図書室でも常に誰かがゾロリの本を借りていた。中には違う本の後ろに本をうまいこと隠して休憩時間に取り出して読む輩もいるほど、絶大な人気を誇っていた。
それほど人気の高いかいけつゾロリだが、そんなゾロリを自分の住む町内、いや、市内で一番愛していたのは私だと自負している。
理由はいくつかあるが、それは以下のかいけつゾロリグッズを見ていただければ分かるだろう。
本を買ったらついてくるフィギュア、そして『ブックラこいーた』に『インチキこいーた』『ナジョナージョ』である(ヘトリスはかなりハマって高スコアを叩き出していた思い出。あとは足にひもを括り付けて、おならをジャンプするおもちゃも持って外で遊んでいたな、名前は失念してしまったが)。
ふむ。
あなたの言いたいことは分かる。
こう言いたいのだろう?
愛しているという割には、グッズの数が少ないじゃないかと言いたのだろう?
いや、まあ、その通りだ。確かに少ない。
これは完全に言い訳になるのだが、現役時代はもっとたくさんグッズは持っていた。例えば、ゾロリの箱アイスで当たりが出て手に入れた目覚まし時計やゾロリのDSのカセットなどである。しかし、今ではそれらは何処かに行ってしまっている。また実家に帰省したタイミングで大掃除という名の捜索をするのでそこは大目に見てもらいたい。
しかし、ブックラこいーたのカードはロッテリア限定品もあれば、DVDについてくるカードも持っている。
また、左下の085:ゾロリに関しては、これは非売品のカードだった記憶があるが、何の抽選で当てたのかが思い出せない…誰かゾロリガチ勢の人がいればコメントいただきたい。
さらにさらに。
『かいけつゾロリのきょうふのおやじギャグ大さくせん』に当選したときの賞状も保管している。しかし、このときにゲットしたゾロリのワッペンは消えてしまったうえに、どんなおやじギャグを応募したのかももう思い出せない…。
そして、一番のゾロリ愛の証明はゾロリしんぶんコンテストである。
(ゾロリしんぶんとは、もちろん知らない人はいないだろうが、本を買うとついてくる小さい新聞のことである。図書室でしかゾロリを読んだことがない人にはもしかしたら馴染みがないのかもしれないが、ゾロリの本を買ううえで欠かせないアイテムの一つである)
なんと私、このコンテストで自作のゾロリしんぶんが原ゆたか賞を獲ったのである。
当時プレコミックブンブンを読んでいて自分の作品を見つけた時の驚きは、我が人生の驚愕ランキングTOP5に入ることは言うまでもない。
当時はまだ四捨五入して10歳ほどの年端もいかない少年である。まさか自分が!?という感覚で、そもそも受賞することすら予想していなかったため、興奮して失屁も禁じ得ないほどであった。
名前の部分はモザイクをかけたが、当時のブンブンの切れ端である。
この時に頂いたサイン色紙は今でも家宝であり、裏に書いてある原ゆたか先生からのメッセージには未だに勇気づけられている。
また、グッズのコレクションとは異なるが、当時ゲームセンターには『かいけつゾロリ きょうふのいもほり大さくせん』というメダルゲームが存在した。しかし、いかんせん田舎に住む私は近くのゲーセンに探しに行ってもそれを見つけることができず、しまいには夢の中でそれをプレイし、起きて現実とのギャップで大泣きしたことも覚えている。
これまでのエピソードで、私のゾロリに対する愛は理解していただけたであろうか。
そんなゾロリであるが、小学校高学年~中学生になるにつれて、私の興味は青い鳥文庫や東野圭吾、山田悠介へと移っていき、だんだんとゾロリとの関わりを持たなくなっていった(それでも映画が年末にTVで放送されるときは見たりはしたが)。
そして私とゾロリとの決定的な確執は、大学時代に遡る。
忘れもしない大学1回生の夏休み、一人暮らしでゴロゴロしていた私のもとに母親から一通のラインが届く。
『そういえば、ゾロリ全部売って、部屋が広くなったから』
察しの良いあなたなら、私の最初の写真を見て勘付いていたであろう。
そう。
かいけつゾロリファンが、かいけつゾロリの本を持っていないのである。
いや、実際は持っていないのではない。なんなら、40冊くらいは持っていたし、ほうれんそうマンすら買っていたのが私である。
ちなみに一番好きな作品は『かいけつゾロリ ちきゅうさいごの日』だ。おならで地球を救うという設定と、世界中からおならのエキスパートを集めるのはさながらアベンジャーズを彷彿とさせ(今ならア屁ンジャーズとでも名付けられるのであろうか、いや、しかしそうするとアヘンともかかってしまい、子どもの教育上よくない可能性がある。ここはまだ、一考の余地がある)、大興奮でページをめくったものだ。
話を戻す。
母親から死刑宣告のラインが来たときには、ゾロリの本だけでなく、創刊号から買っていたブンブンもブックオフへと売られた後だった。ブンブンに掲載されていた漫画についても語りたいことは山ほどあるが、これはまたの機会にしよう。
だがしかし、このとき私の胸の中に浮かんだ感情は、無断で本を売るという暴挙に出た母親への怒りではなく、「まあ、そっか」というシンプルなものであった。
無論、その後にブックオフに売るくらいなら従弟にあげたほうがマシじゃん等の考えにも至ったが、意外と頭は冷静なままであり、簡単に現実を受け入れる自分がそこにはいた。
そう。つまり私は捨てられる前から捨てていたのである、自分自身で。
どうどうと滾る熱のような、湧き上がってとどまることを知らない、好きなものに対するアツい感情というものを。
私はゾロリしんぶんコンテストにしても当初、賞がもらえるかもなどということは全く頭になく、ただゾロリが好きだから、ゾロリしんぶんを書きたいから、その一心で作品を作り上げていた。
そのとき確かに存在していた熱が、今の私には完全に欠けている。
これはなにもゾロリだけに言えることではない。
小学生の中学年から絵を描くことの楽しさに目覚めた私だったが、美術の成績で5を取ることで満足しそこから先に進もうとすることはなかった。
なぜ小中学生にして、私は未来に対する希望を失ってしまっていたのか全く分からないが、振り返ってみると大事な数年をふいにしてしまったことだけは分かる。
身の丈に合ったところに落ち着いたとも捉えることもできるが、それでは満足できない自分がそこにはいるのである。
それを数年たったいま、ゾロリに教えてもらえただけでも大きな前進である。
分かったのなら、あとは行動するのみ。
小さかった頃の自分の気持ちと正直に向き合い、これからの人生を"好き"に対する想いで切り開いていくんだ。
やってやる!見ててね、ゾロリ!
そういって私は部屋から飛び出し、広大なる未来へとその一歩を踏み出した。
机の上に置いているゾロリのフィギュアが、そんな私にニシシと微笑んでいた。
~fin~
【大注目】
4月5日からEテレにて「もっと!まじめにふまじめかいけつゾロリ」が放送スタートします。
絶対見てくれよなっ!